鍼灸院の先生との会話。心配をしない方法は、執着しないこと

コーヒーとベルギーワッフル
今日は鍼灸院に行ってきました。
だいたい週1ペースで施術してもらいに通っています。
いつも先生との会話は、先生から「今週どうでしたか〜」(←忙しさとか、体調など)から始まり、今の状態をかんたんに報告するぐらいのこともあれば、さらに雑談をするときもあります。

先生は、なんかそこにいるだけで面白いです。
笑いがこみあげてきます。
先生はべつに笑いも何もとっていませんが。(こんなふうに他の人も思っているのかは不明)

そしてほんのりスピリチュアルなところがあります。

今日の先生は、けっこうスピでした。笑

心配をしない方法は、執着しないこと

執着するから心配になる

今こうして暮らしている自分自身、自分をとりまく環境すべてが「宇宙の一部」。
…なんて書くとちょっと怪しげかもしれませんが、別に怪しくはないです。

時が流れて、あらゆることがうつろいでいく。
無理やり変わろうとしなくても、生きているだけで自分は変わっていくし、まわりの人や状況もずっと同じということはありえない。
だから、自然のなりゆきにまかせていれば、なるようになっていく。
執着をしない。
でも、あきらめているのではない。
ピタッとおさまるべきところにおさまるようになっている。

おさまっているところが合わなくなってきたら、自然と変化がおとずれるようになっている。
その繰り返し。

だから、その流れに沿って生きていくのがよい。
そういうものだ、と思っていると、あんまり心配をしなくなる。とおっしゃっていました。

うーん。深い。(←わかってんのか…)

コメダのグラタン
これはコメダで食べたグラタン(話とは関係ない)

私は、今勤めている会社はけっこう長く続いていて、自分でも驚いています。
偶然の要素も大きいと思う。
タイミングよく苦手な人がやめていったりして。
これまで、学生時代のバイトも含めて、1カ所でなかなか続けることができなかったのです。仕事内容とか職場の人間関係のあれこれや、勤め先がなくなるとか…

「それはね、何かしら波長が合ってるってことよ」
「人が入ってきたりやめていくのも自然の流れ。雲が流れていたり、風が吹いたりするようなもの。」

何かが、「そうさせている」。実は自分で決めていない

朝ごはん
この朝ごはんも成り行きで(残り物ありあわせ)

私がなんとなく右手で髪の毛をさわると、「今右手を無意識で動かしたでしょう。その動かしているのも、自然の流れの一部なのよ」

自分で「手をうごかそう」と思って動かしているつもりでも、実はそれは自分で考えて決めていることではないらしいです。

私は、いま職場の空気がめっちゃ悪いんですw と言いました。
そしたら
「それも自然とうつろいでいくから。誰かが入ってきたりやめたりして、よい感じに落ち着くのかもしれないし、もう全員散り散りバラバラになるのかもしれないしw
これをわかっていると、あんまり心配をしなくなる。」

タイミングがきたら、自然と動けるようになっている

一歩を踏み出したくてもなかなかできないときってありますよね。
頭ではわかっているけれど行動できないとか。
これも「その時」がきたら、スッと動けるものだと先生はおっしゃいました。

たしかに過去の自分を振り返ってみてもそうだなと思います。
ここぞというときって、迷いがない。
無理やり迷いをふり払っているんじゃなくて、自然とそうある感じ。

なので……
ふつうに過ごそうと思います。焦ってバタバタするんじゃなくて。
焦るとだいたいロクなことになりませんからね。

こんだけいろいろ書いてきて、締めが「ふつうに過ごそうと思います。」かよ…。


こんなつかみどころのない話を最後まで読んでいただいた方、ありがとうございます。