たとえば私にとっては、あいさつをすることが当たり前でも、そうじゃない人がいる。
何か言われたときに返事をすることが当たり前だと思っていても、そうじゃない人もいる。
周りにそうじゃない人が多いと、なんか自分のほうが間違っているのではないか? と思ってしまう。
でも、あいさつも返事も、間違ったことはなんもしてへんやん。
むしろ人として当たり前のことやん。
なのに自分のほうがおかしいのかもと思ってしまうことがよくある。あいさつや返事に限らないけれど。
もっとぶれない自分を持ちたい。
自分に自信を持つ、と言うと月並みだけど
もっと「自分は正しい」と思いこめばいいんかな、と考えたりもしたけれど。
でも、そうじゃないことだってあるわけやん。
それに、自分が正しいって思い込んでしまうと人の意見が聞けなくなりそうだし。
これもバランスなんでしょうね。
いつでも「自分は間違ってる」って思う必要はないけれど、間違ってることだってある、って心に留めておくだけでも全然ちがうと思う。
「自分は正しい」って思うのはもちろんいい。
「自分は正しい、でも相手も正しい」って考えておくといいかもしれない。
えらそうになるときって「自分正しい、相手間違ってる」ってときだから。
過去にいたんですよね、めっちゃ「自分正しい!」っていつでも思っている人が。
もう、何言ってもムダってみんな思ってた。
そうはならないようにしたい。
今いる場所の常識は、よそでは非常識かもしれない
長いこと同じ組織にいると、そこでの常識が普通に感じてしまい、感覚が麻痺してるなって思うことがあります。
こんな行為、よそでは絶対通用せーへんやろ。ってことがまかり通っていたり。
でも誰も注意しない。
その行為をおかしいと思う自分のほうがおかしいのでは? って思えてくる。
ここで思いつめてしまうと、メンタルやられそうになります。
今年の半ば頃、ある人の振る舞いについて、どーしてももう限界、と思うことがありました。
人の悪口は極力言わないように努めてきたけれど、これ以上我慢するとおかしくなりそうだったので友人に話してみました。
そしたら友人も、それはおかしいと言いました。マナー違反だと。(具体的な内容は伏せておきます)
そう言ってもらったとき、私の気を悪くさせないように、そうは思ってかもしれないけど、そう言ってくれてるんかな…と疑り深い私は思いました。
(でもきっと本心だったよな……疑って申し訳ない)
でも別の人も、同じこと言ったんですよね、その行為はよくないと。
ここで、あ、自分の感覚は間違ってはいないんかも、と思いました。
人に話すこと、誰か別の人の視点から見てもらうってめっちゃ大事やなって思いました。
それと同時に、いくつもの「世界」を持っておくことも大事やなって思いました。
家と会社だけ、よりも、趣味の集まりとか、習い事やセミナーなどの学びの場とか。ネットでのつながりとか。
ここだけがすべてじゃないって思えるから。
ここがだめでも別の場所があるから。
そしたらもっと、今いるところでも自由に振るまえる。
(決してわがまま勝手になるという意味ではなく。自分に正直に、言いたいことだってもっと言えるとか、ヘンに守りに入らなくてすむって意味で)
もっと「世界」を広げていきたいです。