雑記

私が日記を書く理由は、読み返したとき笑えるから

ほぼ日手帳の本2019

ふと「私はなぜ日記をつけるんだろう?」と考えた。

私はめんどくさがりの割に日記に関してはマメで、中学生頃から何らかの形で紙の日記を書き続けている。
これまでの分全部を残しているわけではなく、中学生のときの日記はたしか大学生になったあたりでまとめて処分したような記憶がある。なんかもう読むに耐えられない代物だったんですよね。焚き火にしてしまいたいぐらい。焚き火にはしなかったけどゴミの日に他のゴミと一緒に捨てた。

それでも私は懲りずにその後も日記を続けている。
日記を書くのが偉いとか書くべきとかそういうことを思っているわけではなく、単に書くことが好きで書いている。

大学生になってからはブログに手を出し始めたが、それでも紙に書くことはやめなかった。
ここ10年ほどはほぼ日手帳を愛用しており、来る日も来る日も日記を書くという(抜けてしまう日はあるけれど)しちめんどくさい行為をずっと続けている。
ちなみに今年はほぼ日weeksを日記帳にしています。

……とは言っても、少し前にまたもや数年分まとめて処分したんですけどね。ちょうどその頃断捨離やシンプルライフがマイブームでいろんなものを次々処分することに快感を覚えていたんです。

中学生の頃の日記は捨てて後悔はないけれど、ほぼ日手帳にしてからの分は今思うと捨てなきゃよかったかもとちょっと後悔している。
ほんまになんで捨てたんやろーーー!!?
一時期のマイブームにより後悔する日がくるとは。
もしタイムマシンがあったらその時の自分のところに行ってゴミ袋の中からほぼ日手帳を回収したい。そして「断捨離しすぎやねんジブン!」と言ってやりたい。でもタイムマシンなんてないのでどうしようもない。

なぜ後悔しているのかというと、処分していないここ近年の日記を読み返すことがあったんですが、これが面白いんですよね。
こんな笑える代物を処分するなんて、なんて惜しいことをしてしまったんだろう。

日記を書く理由その1:読み返したとき笑えるから(懐かしいのではなく、単なるネタとして)

別に面白いこと書いてやろうと思って書いてるわけではないし、書いてるそのときは大真面目に書いてるんですよ。なのに読み返すと笑える。
大真面目だからこそ笑えるのかもしれない。
「懐かしむ」のとは全然違ってて、単に「面白い」ってだけです。

↓ このときは新元号の発表を聞いて気持ちが盛り上がっていたんだろうな……。なぜか「いらすとや」のイラストを模写し始める私。謎すぎる。

ほぼ日weeksの中身

2015年のある日の日記を読み返していたら「まずいクッキーをなんとか食べ切った」と、まずいクッキーを完食したことが報告されていて思わず吹き出してしまった。
はて……何のことだろうか。覚えていない。数ページさかのぼって読んでみた。
すると完食から数日前の日記で「いつも気になってたクッキーを買って食べてみた。あんまりおいしくない 高いわりに」とクッキーが値段のわりにイマイチなことをボヤいていた。

まずいクッキー完食のその日には「ステラおばさんのクッキー買ってみた」と書いてあり、次の日の日記には「クッキーうまい!」とあるのでまずいクッキーのリベンジをしたかったのかもしれない(でも覚えてない)。
それにしても何やってるんだ自分はとアホらしさがこみあげてくる。

読み返しながら自分で「こいつ大丈夫か」「何を自分ひとりで自分にツッコんでいるんだ……」と心配になりつつも笑えてくる。
書いているときはもちろん、未来の自分を含めた誰かを笑わせてやろうなんて微塵も思っていない。

紙の日記だと、書いてる文字の感じでそのときの状態がうかがい知れるのも面白い。
今にも崩壊しそうな文字や、急にわけのわからない図や変なイラストが出てきたりするのはアナログにしか出せない味だなあと思う。

↓ 謎のイラストの例。急にピクトさんみたいな人が出てきたり……。

ほぼ日weeksの中身

※ピクトさんとは、非常口マークなどの標識に描かれているあの人です。

日記を書く理由その2:そういえば○年前の今頃って何してたっけ?と思ったときのため

何も記録がなかったら今日何をしていたかは来週にはもう思い出せなくなる。
それどころか次の日には「えーっと昨日何してたっけ……?」となる。
1年前の今日何をしていたか? と聞かれても思い出せない。仕事をしていたぐらいは思い出せるけど、その内容まではわからない。

昨年の今頃って何してたっけ? ○年前の今頃って何してたっけ? と知りたくなることがたまにある。
知りたくなる理由は、ただなんとなくだったり、今やけに忙しいけど昨年の今頃もこんなんだっけ? と思って知りたくなったり。

それで以前のほぼ日手帳をパラパラ見て「あ〜このときはもうこの仕事やってたのか!」「今年より昨年のほうが前倒しでやってるなぁ」「これやってたの、もっと昔の気がしてたけどまだ1年前か〜」ってなることもあれば、記録なしってこともある。記録がないときは大抵余裕がないとき。

もし記録がなくて、そのとき何をしていたかがわからなかったとしても特に困ることはない。まあいいか、で終わる。

なので理由その2も結局は「自分の楽しみのため」ってことになりますね……。いま書きながら気づいた。

日記を書く理由その3:過ぎた日々をそのまま忘れ去ってしまうことに虚しさを感じる

過去の日記を捨てる行為と思いっきり矛盾してる気がしますが。
今日という日が過ぎてしまって何も記録がなかったら、今日のことはもうずっと思い出せないんだなと思うと、1日1日を何らかの形で残しておきたいと思ってしまう。

捨ててもいいと思った日記は、もう思い出せなくてもいいってことなのかも。
捨てたその時はそう意識していたわけではないですが、たしかにもう思い出せなくてもいいかなとは思う。
でも捨てて後悔した分は、後悔しているので、そうは思えないものってことか……!(ほんまになんで捨てたんやろ)

私あんまり過去を振り返ったり懐かしんだりしないわりに、記録とか残しておきたがるから自分でも不思議だよなーと思います。

まとめのようなもの:日記を書くことにたいした意味はない

日記を読み返して感傷的にはならないけど、その日のことをなんとなく残しておきたい。

そのぐらいの理由だけどなんとなく書き続けているし、これからも気が変わらなければ書き続けると思います。気が変わりやすい私のことだからどうなるかはわからないけれど。

この本、読んでて楽しい本でした。
こういう本で他の人の手帳の中身をのぞかせてもらったり、使い方を参考にするのって楽しいですが、手帳の書き方使い方って最終的には自己流にしかならない。

そのままマネしても自分の生活にはハマらなかったり、あんまり手間がかかるものだと続けられなかったりしますし。
いつの間にか書きやすい書き方になっていく。
そして未来の自分を楽しませたり、助けたりすることがあるかもしれません。

アナログ日記ライフ、楽しいですよ。